評価の難しさ

会話に問題があるため、臨床には向かないと考えられる医師が増加傾向にあります。そのため、医師としての適性を評価するために、医学部入試に面接や論文を課する大学が増えてきました。

そもそも評価の目的は何でしょう?入学試験はよい医師になる人をとるための総括的評価ですが、入学後や病院採用後では、形成的に評価をすることで学生・研修医に自分の問題点を気づきかせ、それを修正させるためのものです。また、入学時や採用時によいと評価された学生・研修医が、卒業時や初期研修医終了時にその評価が低ければ、教育カリキュラムや評価法の問題点も考える必要があります。

私は、永く卒後臨床教育に関与してきましたが、医師免許を取得後の1−2ヶ月の評価が高くとも徐々に低下し2年後の評価は高くない人をみてきました。またその逆もありました。医師免許取得後1−2か月において、新人医師は病状が安定し、検査・治療方針が決定している患者のみを受け持つため、基礎知識がある人間、本を読んで理解できる人間が、高く評価されます。この頃では、答えの分からない患者から自分で問題点を探し出し、それをどのように解決するかという臨床に最も重要である問題解決能力を評価することはできません。

例えば、ある研修指定病院で研修医の採用に、前年の夏期学生実習を義務化し、その評価が高い学生を採用すればどうでしょうか?ほとんどの病院における学生実習では、短期間で医療チームにはいらず、「お客さん」として扱われます。学生に対する評価も、想起やせいぜい解釈レベルの知識と本人のやる気がその対象となります。我々の病院でも、夏期学生の研修時の評価が高くても、採用され1年の研修がすぎても問題症例をもった時にマニュアル医療しかできない医師がしばしばみられます。

問題解決能力は個人の性格や能力もありますが、問題解決をしなければならない症例に対してぶつかり種々の経験を積むことで、初めて得られるように思います。そのためには、卒前にクリニカルクラークシップとして医療チームの一員となり、上級医とともに問題解決をしなければならにような環境を早期に体験させ、適宜、形成的評価を行う必要があります。その結果、指導者から臨床医に向かないと評価され、本人もその認識をすれば、医師になる前に学部を変更できる(単科大学では転学できる)システムを行政が作ることが大切であるように思います。